一昨日に行われたスパーキングレディーCはご存知のようにホクトベガメモリアルと銘打たれている重賞、ホクトベガがドバイで亡くなったのは97年の4月だから早くも19年も経過しており、ホクトベガをリアルタイムで見た事の無い競馬ファンも増えているだろう。
3歳時にGⅠのエリザベス女王杯を制したホクトベガはジリ脚だった事もあって古馬になってから不完全燃焼の結果が続き、障害入りのプランもあったがAJC杯でサクラチトセオーの2着となった事で見送られた。
しかし、その後も勝ち切れないレースが続きダート巧者を輩出するナグルスキー産駒でデビュー当初ダートで結果を残していた事から川崎のエンプレス杯に出走、ここで結果を出せなければ「女オペックホース」の謗りを免れる事は出来なかっただろうが、南関でオトコ馬相手の報知グランプリを勝つなどオンナ馬では屈指の実力の持ち主だったケーエフネプチュンを競り潰すとあとは独走状態、2着のアクアライデンに時計三つ半以上の大差の圧勝で鮮烈な地方デビューを飾った。
このエンプレス杯勝利の翌年からダート路線へと舵を切り1月の川崎記念を勝つと翌年の川崎記念までダートでは9戦9勝と負け知らず、それも川崎・府中・高崎・大井・盛岡・浦和と異なるコースで右回り・左回りや直線の坂の有無に小回りに加え距離1500~2400に対応しての勝利だから価値が高く、本当に強い馬はコースがどうだの距離がああなどと言い訳をせず勝つと云うのが私の持論なのだが、まさしくホクトベガはそれを地で行く活躍した訳で、それだけでもダートに於ける希代の女傑と呼ぶに相応しいのだが、それ以上に凄かったのはホクトベガが参戦する競馬場の全てを満員にする人気で、それから20年近く経過するが集客力でホクトベガを上回る馬を私は知らない。
時の経過と共にダート路線は拡充の一途を辿り、今のダート路線の競走馬のレベルはホクトベガが現役だった時代に比べれば格段に上がっているのは間違いないだろうが、ホクトベガのような実力と人気を兼ね備えたスターホースがどれだけ居たのだろうかと昨日の七夕の空を眺めてホクトベガの名前の由来となった織女星を探しながら考えた。
そしてこれからのダート界にホクトベガのような実力と人気を兼ね備えたスターホースが現れる事を星に願わずにはいられなかった。
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