2015年10月30日金曜日

まつり

先日の菊花賞はキタサンブラックが優勝した、ご存知のようにオーナーは歌手の北島三郎氏で、馬主になって50年以上も経過する北島氏の持ち馬が中央競馬のGⅠを勝利するのは初めてとなる。
ちなみに芸能人がオーナーの競走馬でGⅠレースを勝利したのは07年のヴィクトリアMを勝利した歌手の前川清氏のコイウタが有名だが、クラシックを勝った馬は52年の桜花賞馬スウヰイスーを共同で所有していた女優の高峰三枝子氏以来だろう。


キタサンブラックは菊花賞で5番人気に支持されたが単勝オッズは13.4倍だからセントライト記念を勝ちながら人気を集めたとは言い難い。
それもそのはずキタサンブラックの母の父は短距離ベストのサクラバクシンオーだから3000Mの菊花賞では厳しいと考える方が普通だろう。

ただ、セントライト記念当時のドタドタした調教を見る限り、決してベストの状態ではなかったのは確かで、その仕上がり途上だったセントライト記念をたとえ3/4馬身差と云えども勝利したのはキタサンブラックの能力の証と思え、元より神戸新聞杯組よりセントライト記念組が上と評価してブライトエンブレムから馬券を買っていた私としてはキタサンブラックがアタマに来る可能性が低くとも、万が一の可能性があると思い一応裏目を押えていたが、そんな馬券を買っている私ですらキタサンブラックがゴール前で突き抜けた時は目を疑ったと云うのが本音で、おそらく馬券を買っている人のほとんどが半信半疑だったと思え、菊花賞でのキタサンブラックの勝利を信じて疑わなかったのはクラシック登録が無かった同馬に追加登録料を支払い、三冠レース全てに出走させたオーナーの北島三郎氏だけかも知れない。

その北島三郎氏が馬主になったのは北海道で育った北島氏が幼少の頃に自宅で飼われていた農耕馬を世話していた事がきっかけで、所有馬に現在の「キタサン」の冠号をつけるようになったのは昭和の終わり位からで、それ以前の中央所属の所有馬はリュウ・ジエロニモ・ボーカルラインなど「キタサン」の冠号がない馬ばかりだった。
また、その当時は中央では重賞に縁が無かった北島氏だったが、地方競馬では浦和のシルバーCを勝ったエリモミサキや夫人名義ではあったが実質北島氏がオーナーだった楠賞馬トライバルセンプーとアラブ王冠賞馬ボールドマンの兄弟を所有していた、またエリモミサキの主戦騎手を務めていたのが川島正行騎手だった事が縁で両者の親交が深まり、のちに川島師が厩舎を開業した際に初の重賞勝ちをプレゼントしたのは北島氏が所有のキタサンテイオーだったのは有名な話だ。

しかし、地方競馬では大きいレースを勝ちながらも、中央競馬ではGⅠレースに縁が無かったのは北島氏がかつて船橋で所有していたパーセントのメアーラインの産駒を大事に扱い、高額な社台ファームの生産馬が居ない事から仕方ない、おそらくこれは金銭的な問題ではなく競走馬を純粋に愛する北島氏の馬主としてのポリシーなのだろう。
高額な馬を買い漁る新興馬主が増えた事で、最近ではすっかり聞かなくなった「馬主になって苦節半世紀、悲願のGⅠ制覇」と云う言葉、それを実現した北島氏が菊花賞の表彰式で自身の代表曲の「まつり」のサビ部分を約5万人の観客の手拍子をバックに熱唱、歌い終わると約5万人の観客から大歓声が巻き起こったシーンは実に感動的だった。
冷静になって考えれば表彰台で優勝馬のオーナーのインタビューでは無く、歌を一曲披露するなど過去に例は無く、おそらく今後も実現する事は無い椿事だろうが、北島氏の半世紀に渡る馬主としての苦労が結実し、その喜びをファンと分かち合っていると思えばそれを責める気など毛頭無く、むしろ微笑ましい光景に感じてしまう。


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