今回の川崎では第14回佐々木竹見Cが行われた。
思えば竹見さんが引退したのは01年の7月だから騎手・佐々木竹見を知らない人も多くなっただろうし、現役時代を知っている人でも全盛期だった頃の騎手・佐々木竹見を知らない人の方がほとんどだろう。
南関競馬歴が長い私でもさすがに竹見さんのデビュー当初の頃は見た事がなく、初めて竹見さんの馬券を買った時はもう既に南関リーディングジョッキーとして大活躍していた。
竹見さんと云えば逃げ・先行に拘った騎乗が有名で、竹見さん本人は師匠だった青野四郎師が「行け行けとうるさかったから、先行する下地が出来た」と仰っているが、如何に師匠の指示と云えどもこれまで1度もハナへ行った事がないどころか、後方のまま惨敗を繰り返していた馬が竹見さんが手綱を取ると別馬のごとくスッとハナへ行きアッサリと逃げ切ってしまうのだから当時の南関ファンとしてはその騎乗振りを「竹見マジック」と呼んで頼りにするのは当然の話だろう。
古い話になるが昭和52年の5月11日に騒擾事件が起こり、翌日から川崎競馬は開催休止になり、この開催に予定されていた関東オークスがこの年の9月まで延期された事があったが、この5月11日は当時あったギャンブルホリデーの水曜で、競馬をほとんど知らない他の公営ギャンブルファンがバクチを打ちたくて川崎に押し寄せた事が騒擾事件の発端、競馬を知らない人間が頼りにするの競馬新聞や馬ではなく佐々木竹見騎手で、本来ならばそれで間違いないはずなのだが、この日に限っては不思議と竹見さんのスタート決まらないケースが目立ち、メインレースでも人気を背負った竹見さん騎乗の馬が出遅れて敗れた事がきっかけとなり騒擾事件につながった訳で、騒擾事件の是非は別として当時の竹見さんとは人気を背負って敗れるとこんな事件が起こるほど絶対的な信頼を集めていた乗り役だったのは間違いない。
竹見さんは減量に苦しむ事のない体型と体質だった事から乗り役向きだったが、運動神経が優れていなければ南関リーディングを17回も獲得出来る訳もなく、また41年に渡る騎手生活で6度もの大怪我から再起するなど精神力の強さも特筆に値する、今思えばそう云った事を含めて竹見さんは乗り役として必要な条件を全て兼ね備えた存在でありながら、日頃から体調管理などの努力を怠らなかったのだから7153と云う前人未到の勝ち鞍を挙げた事は何ら不思議ではないだろう。
そんな「川崎の鉄人」と呼ぶに相応しい竹見さんの全盛期を間近で見る事が出来たのは私の大きな財産と思えるトコ。
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