続いて1961年。この年から東京競馬場で初のダートコースが導入されましたが、それまでは競馬場には芝コースしかないか、あるいは「砂コース」という今のダートとは違う性質のコースで競走が行われていました。この年2月に行われた京王杯スプリングHは馬場悪化により、日本史上初のダート重賞として実施されたようです。輸入種牡馬では後にサラブレッドの種付け記録を大幅に更新することになる*チャイナロックが導入されたほか、この世代の産駒として阪神大賞典で非業の死を遂げたダービー馬キーストン、希世のクセ馬として知られたカブトシロー、クラシックホースながら晩年は障害入りしたダイコーターなどが出ており、記録よりも記憶に残る競走馬が多かったという印象です。
なお、この年から賞金・AEIの欄に数値が入っている種牡馬がちらほら見られますが、JBISによる集計は1974年から始まりますので、これはあくまでもこの年に種付けされた世代が1974年以降に残した数字ということになります。
<種付け基本データ 1961年度>
種牡馬数 137頭 | 新種牡馬 24頭 | 種付数 2281頭 | 生産数 1491頭 |
外国産 50頭 | 外国産 11頭 | 外国産 1304頭 | 外国産 884頭 |
内国産 87頭 | 内国産 13頭 | 内国産 977頭 | 内国産 607頭 |
外国産率 36% | 外国産率 46% | 外国産率 57% | 外国産率 59% |
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