川崎に居たギンザグリングラスが種牡馬となった。
中央デビューで南関へ移籍、9歳まで現役を続け中央・南関で通算109戦して【3・5・11・90】と云う成績、重賞出走歴は無く最終的な格付けはC1で、通常ならば種牡馬になる事は望めない馬だろう。
ただ、このギンザグリングラスはメジロマックイーン産駒としては最後の現役競走馬で、昨日も書いたようなオーナーが自分の所有馬を種牡馬にした訳ではなく、メジロマックイーンファンだった方が現役時代のオーナーに頼んでギンザグリングラスを引き取り、その新オーナーが牧場と交渉して種牡馬としてのスタートを切る事となったらしい。
オルフェーヴルやゴールドシップの母の父としての実績があるメジロマックイーンだが、産駒で中央の重賞を勝った馬はオンナ馬ばかりが目立ち、唯一オトコ馬で重賞の目黒記念を勝ったホクトスルタンはレース中の事故で死亡と後継種牡馬候補は不在、メジロアサマ→メジロティターン→メジロマックイーンと三代続いた貴重な内国産のサイアーラインがとうとう途切れるかと思っていたのだが、内国産種牡馬としては過去に例が無い四代目へとバトンを繋ぐ夢が実現したのはメジロマックイーンファンの熱意と思い入れがあったからこそだろう。
過去には日本ダービー馬のヒカルイマイが引退後に種牡馬入りしたが、当時は内国産の種牡馬が不遇だった事に加えて、ヒカルイマイがサラ系と云う血統から肌馬に恵まれず、活躍馬を出せなかったため、北海道から九州へ送られた事で種牡馬廃用後に屠殺されるのではないかと心配したヒカルタカイのファンが集まり「ヒカルタカイの会」を結成して繋養先の牧場主に月々の飼葉代などの資金援助を行う代わりに種牡馬引退後も牧場で余生を過ごす事が出来るように交渉し快諾を得る事に成功したり、種牡馬入りのために新オーナーに売却されて引退したはずの天皇賞馬テンメイが当初の約束を違えて岩手競馬で現役を続行した事を危惧したテンメイファンにより「テンメイの血を守る会」を結成、あくまで現役続行を望むオーナーと粘り強く交渉、ついにはテンメイの購入資金を用意し、オーナーの目の前に叩き付けて引退させる事に成功した事例からも、ファンの熱意と思い入れは案外侮れない。
競走馬は病気で他界するだけでなくレース中の事故が死亡に繋がる事もある過酷な現役生活、仮に無事に引退したところで将来どうなるか判らないのが競馬の現実だが、ごく一部だろうがファンに愛されながら生涯を終える幸せな馬がいるのは間違いないだろう。
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