2015年8月31日月曜日

終の棲家

昨日、新聞のテレビ欄を見ているとハルウララの名前を発見。
どういう扱いで取り上げられるのか興味を持ってその番組を見ると高知競馬で連敗を続けていたことが話題となり「負け組の星」としてブームを巻き起こし、ついに中央リーディングの武豊が騎乗しながら勝利出来ず、引退後は千葉の牧場で「うーちゃん」と呼ばれ余生を過ごしていると紹介されただけで、引退時の調教師と馬主のゴタゴタや引退後に千葉の牧場に流れ着くまでの経緯などは紹介されなかった。

まぁ、ハルウララのようにメディアに取り上げられて全国的な知名度が出てくれば、それに「いっちょかみ」して儲けてやろうとする輩が出て来るのは世の習い、如何に高知競馬と云えども連戦連敗の馬を走らせる酔狂な馬主に関して触れてはいけないと云うのが「暗黙の了解」、それにつけ込んだのかは判らないが関東在住の女性ライターが新しいオーナーへ名乗りを上げ、ハルウララの「引退後の面倒を見る」と云う条件で無償で譲渡されたが、結果的にハルウララのグッズ販売収入を巡って高知競馬との対立や調教師の反対を押し切ってハルウララを高知から強引に連れ出すなどの騒動を引き起こした事であれだけ騒がれた馬なのに引退レースを行う事も出来ずフェードアウトしてしまった。
結局、ブームが去ってしまった後はハルウララを社台に売りつけようと試みたりするなど最後まで何とか銭にしようと頑張っていたようだが目論見通りにはいかず、その後はハルウララの消息も途絶えすっかり忘れられた存在になってしまい、長らく生死ほどは判らなかった。
しかし、ハルウララは無事で13年の8月に現在いる千葉の牧場へ預けられたが、半年ほどで預託料は支払われなくなり、その後は女性ライターが馬主になった際の「引退後の面倒を見る」と云う約束を反故にして所有権を放棄、千葉の牧場へ譲渡されたとの事で、当初は牧場側が自費で世話していたが、ハルウララの名前を公表して飼葉代などを確保するため寄付金を募る目的でファンの会の設立して現在に至る。

優勢劣敗が原則の競馬の世界で負け続ける事で注目を集めた徒花的存在のハルウララだが、それでも当時苦境だった高知競馬を救う神風を吹かしたのは確かで、それが無ければ現在の飛躍的な売上増を迎える前に高知競馬の命運が尽きていた可能性もあっただけに、高知競馬の存続に関して大きな功績を残したハルウララが、金の亡者のような人間が馬主になった事で引退後は流転の生活を強いられたのは大きな不幸としか思えない、しかしようやく終の棲家が見つかった事で、ファンに愛され穏やかに余生を過ごす事が出来そうなのは幸いだろう。


see more info at 南関診断士の南関競馬徒然草